2011年の東日本大震災から丸4年が経ちました。暮らしぶりは変わらず、ひきこもりな毎日です。新しい生活にはあまり慣れず、外へ出るのがかなり億劫になりました。精神的ダメージが大きく、出かける日の朝は必ずお腹が痛くなります。震災からずーっと続く症状です。いつになったら治るんでしょうね。一生治らない様な気もします。...
東日本大震災・福島原発事故と生きるブログ
3.11東日本大震災に遭い、福島原発事故に直面。大熊町へ戻れる日はいつなのか、避難暮らしを通して地震災害情報、大熊町の情報、避難先の情報、復興への道のりをつづるブログです。
Top Page › Archive - 2015年03月
私も、生まれも育ちも大熊町で、県外の学校を卒業してから、再び戻って大熊町で仕事をしていました。
やむなく避難のため県外へ移住して3年弱、昨年末に避難先に永住することを決めました
郷に入っては郷に従えとは言いますが、慣れようと努力はしているものの、戸惑いも葛藤も消えたことはありません。
ただ、仕事をしているのが幸いしてか、同僚や上司にはとてもよくしてもらっており、周囲への感謝はつきません。
大熊町に近いところにお住まいであれば、周囲の視線がすごく気になりますよね。県内に避難していたときの私も、それは感じていました。
この悩みは、原発で被災した皆さんも同様に持っていると思います。
さちさんは震災以降悩んでおられるとのこと、本当におつらいことでしょう。
私も自暴自棄になることがあります。
永住を決めたので、これでもう死んでもいいかなと思うこともあります。
先週久しぶりにバスで一時帰宅をしたときは、切なくて、涙が止まりませんでした。
生まれ育ったふるさとは、離れることでますます愛おしくなっています。
でも、戻ってはいけないと改めて強く思ったのも事実です。
自分のお体のことです。
日常生活に支障が出るようであれば、ご家族に理解いただいて、思い切って(一時的にでも)県外に住むこともいいかもしれません。
県外に住んでいる私からすれば、それは決して極端な考えではないです。
大熊を出てしまえば、富岡もいわきも県外も、距離が違うだけでどこも同じと感じます。
被災者に本当に必要なのは、精神的に安らげる環境をいかに得られるか、ということに尽きます。
それは、モノであったり人であったり住まいであったり気持ちの持ち方であったり、十人十色、さまざまです。
時間はかかるかもしれませんが、必ずさちさんが安息できる環境が見つかるはずです。
少しでも早く、それに出会えることを祈っています。