先は見えずとも年は明ける・・・
2012年を迎えました。
2012年を迎えました。
さすがに年賀状を作る気にはなれず、寒中見舞いを出そうかとも思いましたが、それも体が動かず。
気づけば1ヶ月半も更新していませんでした。
県外に避難していた両親が、ようやく昨年末に福島県内の仮設住宅へ入居しました。
「え?今頃?」と思う方も多いのかもしれません。
原発事故からすでに10ヶ月。
『仮設住宅暮らしにも慣れた頃なんじゃないの?』
と思われるのでしょうか?
いいえ。
県外や親戚宅などに避難していた方々は、ようやく完成した福島県内の仮設住宅へやっと入居しているのです。未だに入居できない方もいるそうです。
これが現実です。
今から仮設住宅の生活がスタートです。スタートするんです。
いつ帰れるのかもわからず、帰れる保証もなく、帰らないとも決まらず、宙ぶらりんな状態で4畳半の部屋で暮らしているのです。
大熊町は現職町長が再選し、「帰る」前提で物事が動いています。
『中間貯蔵施設』を大熊町に作ろうと政府が動いているのに、その町に住めと言うのでしょうか。どこに施設を作るのかはまだわかりませんが、同じ町内、わずか数キロしか離れていない場所で普通の暮らしができるのでしょうか。
原発に近い所だけ国が土地を買い上げれば済む問題とは到底思えません。
この先どこへ向かうのでしょうか。
事故から1年ぐらい経てば先が見えているはずだ!そう思って皆さんがんばって来たのではないでしょうか?ところが1年まであとたったの2ヶ月。全く先は見えていません。これが現実…。
いつまでここにいるんだろう。次はどこへ行けばいいんだろう。ずっとここに居ればいいんだろうか。年老いていく親をこのままにしておいていいのだろうか。
答えが出せません。
いつまで様子を見ていればいいのでしょう。踏ん切りをつけて他所へ行くにしても簡単ではありませんし、何かきっかけが無ければまだ動くときではないのでしょう。
どうか今年は、避難している皆さんに幸せが訪れますように。
気づけば1ヶ月半も更新していませんでした。
県外に避難していた両親が、ようやく昨年末に福島県内の仮設住宅へ入居しました。
「え?今頃?」と思う方も多いのかもしれません。
原発事故からすでに10ヶ月。
『仮設住宅暮らしにも慣れた頃なんじゃないの?』
と思われるのでしょうか?
いいえ。
県外や親戚宅などに避難していた方々は、ようやく完成した福島県内の仮設住宅へやっと入居しているのです。未だに入居できない方もいるそうです。
これが現実です。
今から仮設住宅の生活がスタートです。スタートするんです。
いつ帰れるのかもわからず、帰れる保証もなく、帰らないとも決まらず、宙ぶらりんな状態で4畳半の部屋で暮らしているのです。
大熊町は現職町長が再選し、「帰る」前提で物事が動いています。
『中間貯蔵施設』を大熊町に作ろうと政府が動いているのに、その町に住めと言うのでしょうか。どこに施設を作るのかはまだわかりませんが、同じ町内、わずか数キロしか離れていない場所で普通の暮らしができるのでしょうか。
原発に近い所だけ国が土地を買い上げれば済む問題とは到底思えません。
この先どこへ向かうのでしょうか。
事故から1年ぐらい経てば先が見えているはずだ!そう思って皆さんがんばって来たのではないでしょうか?ところが1年まであとたったの2ヶ月。全く先は見えていません。これが現実…。
いつまでここにいるんだろう。次はどこへ行けばいいんだろう。ずっとここに居ればいいんだろうか。年老いていく親をこのままにしておいていいのだろうか。
答えが出せません。
いつまで様子を見ていればいいのでしょう。踏ん切りをつけて他所へ行くにしても簡単ではありませんし、何かきっかけが無ければまだ動くときではないのでしょう。
どうか今年は、避難している皆さんに幸せが訪れますように。
最終更新日 : -0001-11-30
大熊町のこの先をとても真摯に冷静に受け止めてご意見を発信しています。