東日本大震災からあっという間に10年が過ぎ、11年目に突入してしまいました。
大熊町の実家を取り壊してからは、一度も帰っていません。家がなくなった所を見るのが怖い気持ちもあります。
子供も小学2年生になり、大熊町のことを知らないまま育っています。
私の体調は良くなるどころか悪くなって行くようで、家から出るのが嫌でたまりません。毎週のように腹痛があるのが辛いですね。
震災後初めての富岡町
2021年の夏は、震災後初めて富岡町へ足を運びました。トムトム(Tomとむ)が「さくらモールとみおか」になっていたのは寂しかったな…。でもヨークベニマルにはお弁当がたくさん売られているし、ツルハドラッグもダイユーエイトもあるし、便利だなと思いました。
大熊に居た頃は、ちょっとした買い物は富岡町のTomとむへ。大きな買い物は浪江町のサンプラザへ。と言う感じでした。
Tomとむが出来た時はかなり嬉しかったし、しょっちゅう母親と行っていた思い出があります。
震災後の大熊町
でもそこから北、大熊町には全然行っていないんですよね。新しい大熊町役場にさえ行っていないので、大川原の変貌を見ていないし、高速のスマートインターチェンジがどの辺にできたのかもわかっていないです。
大熊町に戻る気は無いけど、行ってはみたい。でも子供を連れて行けないのでまだ我慢しているところです。ひとりだったらぷらっと行きたいな…。
- 交流施設「linkる(りんくる)大熊」
- 宿泊温浴施設「ほっと大熊」
- 商業施設「おおくまーと」
せっかくできた新しい施設、見に行きたいです。特に商業施設には足を運びたいなぁ。喫茶店レインボーもあるしね。
今度色んな思い出を綴ってみます。
10年経っても落ち着かない
11年目に突入しても、まだまだ生活と言うか気持ちは落ち着きません。今いる場所に根付きません。ご近所付き合いは出来てきたのでそこは嬉しいけれど。
小学校も新型コロナウィルスのせいで行事も無いので、クラスメイトの保護者とのつながりが一切ありません。これはかなり寂しいことです…。
でも最近になってようやく、仲の良いお友達と日曜日に遊べるようになって、親御さんともつながりができました。ほっとしますね。
2022年春解除になるのか?
実家がある「特定復興再生拠点区域」は、来年2022年春の避難指示解除が予定されています。
そうなるとまた色々と問題が出てくるのか、良い方向へ向かうのか、全く状況が見えないのですが、何かは変わるのでは?と思っています。
おそらく「めんどくさい事が増えるんだろうな」と言う予想ですが…。
今は土地の売買ができないので、家がなくても売ることができません。それが売ることができるようになるでしょうし、そうなると先祖から続いた土地を手放すべきなのかどうかで、家族が悩むのでしょうね…。
まだまだ先はわかりません!
最終更新日 : 2021-11-02